☆安倍晴明公とのなりそめ☆

出会い

1981年…まだ中学1年の頃でした。(現在の私の年齢はこれから計算して下さい(^^;))当時の私は歴史や古典が大の苦手で、授業も真剣に聞いてなかったのですが(おいおい)、雑談好きだった担当先生の話を聞くのは割と好きなほうでした。
そしてある日の歴史の授業。平安時代の項をやっていて、いつものとおり先生が平安時代に関するおもしろ話を話していました。「そういえば、女子は占いとか好きやろ。この時代にな、陰陽道(おんみょうどう)つーて占いのはしりみたいのがあって、それを確立したんが
安倍晴明ってゆー人なんや」。「…あれ〜? なんか…」。それが、安倍晴明公の名前を初めて聞いたときの、私の第一声(?)でした。陰陽道という単語はそれこそ耳から耳へすり抜けてしまいましたが、“安倍晴明”という名前だけは、その不思議な感覚とともに頭の片隅に残っていたのでしょう。

そして“再会”

しかしそういうことがあっても、歴史嫌いがたたって半分忘れたようになっていた高校2年の頃(おお、佑介と同い年だ(^_^;))。母がある日、一冊の漫画雑誌を買ってきました。ミステリー特集みたいでしたが、その記事の中で、ひとつの名前が私の目に飛び込んできました。…「安倍晴明」
それを見たとたん、中学の頃のあの感覚が記憶によみがえりました。彼の名前を本当に初めて聞いたにも関わらず、なぜかそういう気がしなかった、デ・ジャ・ヴにも似たあの不思議な気持ちが。
それ以来、晴明公を意識するようになりました。広辞苑で調べて、そこに書かれてあった
『今昔物語集』からアプローチして、彼がどんな人物なのかを知りました。そのうちに晴明公を祀っている神社があると知り、京都の街を歩き回った記憶があります。(当時は今みたいにガイドブックには載ってなかったもんなぁ(^_^;))

晴明公を描く

そうこうしているうちに、プロの作家さん(小説、漫画etc.)で、晴明公を扱った作品を徐々に発表される方が出てきました。荒俣 宏さん、夢枕 獏さん、田辺真由美さん…。実はこのとき、私も構想だけは練っていたんです。20歳になるかならないかの頃でしたでしょうか。でも当時の私の画力では晴明公に申し訳ない、という気持ちもあって、まだ描くつもりはありませんでした。
しかし…そういうときに“事件”(?)は起こりました。私が愛読している漫画雑誌の中で、晴明公の子孫(というのが真実か否かははっきりしませんでしたが)の女子高生が、千年前に封じられていた晴明公の式神と共に妖怪退治していくというストーリーの作品があったのです。すっかり晴明フリーク(^^;)と化してした私はそれを読んで、その内容の無さにめちゃくちゃ腹が立ちましてね〜(-_-#)。
「こんなん全然違うわ。ええわ、私が描いたろーじゃない!」…と、今にして思えば本当に身のほど知らずなことを考えたものだと(^_^;)
そういうきっかけがあって、描き始めた『星紋−せいもん−』。歴史や古典は苦手だけど、晴明公が大好きなのは本当ですし、好きだからこそこの作品を描いているんだと胸を張って言えます。
これから、どこまで続くかはわかりませんが(ラストのネタは決まっているんです、実は(^_^;))私の体力とネタがある限りは描き続けたいと思っております☆ 皆様、どうぞこれからもおつきあいのほど、よろしくお願いいたしますね。

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