ギムレットには… (2)

光一郎を紘次たちの許に向かわせたのは、本当は佑介だった。
その事実に、紘次は目を見開いていた。

「…佑介とは…知り合いだったんですか?」
「ええ。1年前に知り合って、それからです」
「………」
何とも言えない表情になる紘次。
「あいつも苦しかったと思いますよ。少しでも星野さんたちの力になりたいのに、みんなが隠そうとしていて…。なまじ力を持ってるから余計に」
「!」
紘次は弾かれるように光一郎を見た。
光一郎も、佑介の能力のことを知っているのか。
それに驚きを隠せなかった。

佑介が薄々、自分たちの問題のことに気づいているだろうとは思っていた。
こちらが隠そうとしても、佑介には嫌でもわかってしまうから。
それでも、言えなかった。
佑介は自分たちから見ればまだ子供で、大人である自分たちが守りたかったから。
その大事に思うが故の「すれ違い」が、佑介にもつらい思いをさせてしまったのか。

「それだけ…佑にとっても星野さんたちはとても大事な存在なんですよ」
にっこりと、優しい笑顔で言う。
「……っ…」

――俺だって、紘次さんたちを助けたいんです!

紘次と咲子の前で、たまらず泣きながら叫んだ佑介。
そんな彼を、紘次は抱きしめていた。妻とともに。
「ありがとう…」
「すまなかった…っ…」
そう言うのがやっとで。

「本当に…いいヤツですよ、佑は」
いとおしさをたたえた瞳で呟くように言う。
「…ええ」
紘次も穏やかな笑みを浮かべる。
ふたりとも、佑介のことは「弟」のように可愛いのだ。

「…そういう飛鷹さんは、佑介とはどうやって知り合ったんですか?」
お酒が入ったこともあるのか、幾分かくだけた雰囲気になってくる。
「…あ~…。場面としてはあまりよくないんですけどね」
苦笑しつつも、光一郎は語り始める。

1年前、自分が殺人事件の現場検証にいた時に佑介が友人とそこをたまたま通りかかった。
その際佑介の特殊な能力のおかげで、犯人がすぐに捕まったことなどを。
先ほどの紘次の反応から、彼も佑介の能力を知っていると見てすべて話した。

「そうだったんですか…。初めは驚いたでしょう?」
「ええ。でも不思議と受け止められましたね」
ギムレットのグラスを置き、何とも言えない笑みで紘次を見。
「力があろうがなかろうが関係ない…。それは星野さんもそうでしょう?」
光一郎の言葉に、一瞬目を見開くが。
「――もちろん」
見せた笑みは自信にあふれていた。

そんなふたりの様子に目を細めていたバーテンダーが。
「飛鷹さん、ギムレットのおかわりいります?」
「あ、そうですね。じゃあ…」
答えながら紘次をさして。
「星野さんにも同じものを」
「え」
言われた紘次は目を瞬かせるが、バーテンダーはにこにこして頷いた。

2杯目のギムレットをカウンターに差し出して。
「ギムレットは友情の証ですからね。よく味わって飲んで下さいよ?」
「え?」
おどけた口調で言うバーテンダー。これには光一郎も少し驚きの表情を見せたが。
「友情の証って…?」
話の見えない風の紘次に聞かれて、思い出す。
「あ~、あれですか。『ギムレットには早すぎる』って」
思わず苦笑を漏らしてしまう。バーテンダーは「うんうん」と頷いている。
「…確かそれって、レイモンド・チャンドラーの小説の台詞ですよね?」
「おや、貴方もご存じですか」
「本はよく読む方なので…」
紘次は照れくさそうに肩をすくめる。
「でもあれは、最後は飲んでしまうと友情が終わるということじゃないですか」
光一郎が少し憮然とした顔で言う。


主人公である私立探偵のフィリップ・マーロウは、ギムレットが好きだった友人、レノックスに合わせて一緒にギムレットをよく飲んでいた。ギムレットはふたりの友情の証といってもいい。
そんな時、ある事件への関与を疑われたレノックスを逃がすためにマーロウはあらゆる手を尽くすが、レノックスは逃亡先で自殺してしまう。

レノックスは自殺の際にマーロウに遺書を残した。
『事件についても僕についても忘れてくれ。だがその前に、僕のためにヴィクターでギムレットを飲んでほしい』
つまり、マーロウにひとりで飲んでくれというギムレットは、レノックスからの「さようなら」の言葉の代わりだった訳だ。
ひとりで飲んでしまえば、その友情も消えると。

しかし、実際はレノックスは顔と名前を変えて生きていた。ふたりは再会し、そして再び別れる。

「ギムレットには早すぎるね」
これはその時にレノックスが発した言葉。
そしてマーロウも言う。
「君とのつきあいはこれで終わりだが、ここでさよならは言いたくない」と。
「本当のさよならは言ってしまったから」と。
再会したふたりは共にギムレットを飲むことはなく、ただ静かにお互いの深い友情だけを確認して別れた。

「…『ギムレットには早すぎる』というレノックスの台詞は、マーロウに対して『まだ自分を友人と思っていてくれるか?』『まださよならを言わないでいてくれるか?』という切望を込めた言葉なんだろうと思う」
ギムレットの綺麗な緑を見つめ、光一郎は呟くような声で言う。
その横顔を、気遣わしげに見ている紘次。

探偵という職業上、彼も多くの「さよなら」をしてきたのだろうか。
きっと、つらい思いもしたに違いない。
自分が光一郎に「弱み」を見せてしまったのも、そんな彼だからかもしれない。

「…だから、このギムレットは『始まり』にするんですよ」
「…始まり?」
優しく微笑んでいるバーテンダーに、光一郎と紘次は首を傾げる。
「私から見れば、おふたりはいい友人になれそうに思えるんですけど?」
「!」
思わず顔を見合わせるふたり。
「傍から見ても、互いに信頼しあってるように見えるんですよ」
「………」
光一郎は何とも言えない表情になるが、紘次はどこか確信を得た顔をした。

信頼……そうだ。
あの時、自分は心のどこかで光一郎を信用し、頼みにしていたのかもしれない。
だから自分の「弱み」をさらけ出せたのだ。

「…飛鷹さん」
「え?」
その顔に親しげな笑みを浮かべて。
「飛鷹さんのほうが俺より3つも上なんですから、敬語はやめて下さいよ」
「星野さん」
光一郎は突然の申し出に戸惑ってしまう。
しかも、いつの間にか「私」から「俺」に変わっている。
「その『星野さん』もなし。…名前で呼んで下さい」
「いや、しかし」
「名前で呼ばないなら返事しませんよ?」

やりとりしていて、紘次も思わずおかしくなってしまう。
佑介に名前で呼んでもらうようになったときも、こんな会話だったなと。

初めは呆気にとられていた光一郎だが。
「…ったく」
くすくすと笑い出す。
「わかりました。…これからもよろしく、『紘次』」
「こちらこそ」
顔を見合わせて吹き出した。
そのふたりを、硲も優しい笑みで見ていた。

「じゃあ、お近づきの印としてこいつで飲み比べするか?」
「いいですね」
手元のギムレットを指差して言う光一郎に、紘次もにっと悪戯な表情になる。
カクテルの場合も、種類の違う物を飲み続けると悪酔いするのだ。
こうして、バー『オーク』の夜は更けていく。


ギムレットには早すぎることもなく。
かといって遅すぎることもなく。
ただ「始まり」として飲むギムレット。



「おい、もうダウンか?」
「…まだまだっ!」
そうは言ってるが、紘次の顔は赤い。
「あの~…おふたりが強いのはわかりますが、閉店なんですけど…」
硲はただただ、苦笑いをするしかない。

果たして、飲み比べの行方はいかに…?

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