カクテルは幸せ色に

「…え、飛鷹さんご結婚されるんですか?」

所は東京駅ステーションホテルにあるバー「オーク」。
そこのバーテンダー・硲貴士は、驚きつつも笑顔になる。
「ええ、お恥ずかしながら。この6月に…」
こちらも照れくさそうに笑って出されたカクテルを一口飲むのは、新宿で私立探偵事務所を構える飛鷹光一郎だ。
鋭くクールな雰囲気の端正な顔が、今は柔らかく優しいものになっている。
「そうですか~、おめでとうございます。でもちょっと急ですね」
「ありがとうございます。…実は、プロポーズ自体は昨年にはしたんですよ」
硲の言葉に、苦笑気味で肩をすくめた。
「でも業務が立て込んでいたのもあって、なかなか知らせる機会がなくて」
一旦言葉を切ってから。
「準備も結納や式場の教会の予約などは済ませてますが…。元々、すでに一緒に住んでるようなものですから実感が湧かなくて」

そう。
プロポーズは昨年…瑠衣の誕生日にあたる10月にしていた。
リオオリンピックが終わって、少し落ち着いたかという頃であったか。
光一郎は天涯孤独だが瑠衣は両親が健在だったので(4歳年下の弟もいる)、先方に挨拶も済ませている。
初めこそふたりの交際を反対していた両親だが、初対面ながら命懸けで娘を護り、その後も支えとなってくれた光一郎の誠実な人柄に触れたことで、今では長いことふたりを応援し見守ってくれている。
なので光一郎と瑠衣が来た時も、父親は「やっとか」と安堵の表情を浮かべ、母親は優しく微笑んで、
「これからも、変わらず私たちのことを本当の親だと思ってね、光一郎さん」
と言ってくれた。
それは早くに家族を亡くした光一郎にとって、あたたかく安らぐ言葉であった。

両親とは違い、初めから光一郎たちのことを認めていた弟・潤(まさる)も満面の笑みで、
「光一郎さん。跳ねっ返りな姉貴のこと、よろしく頼むね」
と言ったのには思わず吹き出してしまった。
当の瑠衣はというと、
「潤~…。なに言ってんのよ、あんたは」
翌年には大学卒業し、警察学校へと進む弟をジト目で見ていたものだ。
今の瑠衣からは想像がつかないが、学生の頃はかなりのお転婆だったらしい。
そういえば…と、光一郎も思い起こす。

瑠衣の友人が殺されたヘアデザイナー事件では、その知識を駆使して光一郎と行動を共にして。
バレエ学校で起こった殺人事件では、光一郎の制止を振り切って潜入調査もした。
一見たおやかで穏やかに見えて、芯が強く行動力もあるのだ。
そんな部分もひっくるめて、彼女に惹かれた。

式は身内と極々親しい者のみで行うつもりで披露宴はやらない予定だ。
だが教会式なので、どのくらいの人数が集まるやら…。

「では、今夜はお祝いの一杯をご馳走させて下さい」
硲はふっと眼鏡の奥の目を細める。
そしてダブルショットグラスを8個、何種類かのボトルなどを取り出す。
グラスの多さに目を瞬かせている光一郎を横目に、シェイカーにグレナデンシロップを入れて氷を詰める。
そこにバースプーンを使ってオレンジジュースをゆっくりと注ぐ。
次はウォッカを加えてライムジュースを少々。
その後はシェイカーの上に蓋をするようにしてカクテルストレーナーを置く。最後にその上からブルーキュラソーを注ぐ。
「では、見てて下さいね」
言うが早いか、硲はそのままショットグラスにカクテルを注いでいく。すると…。
「……!」
グラスに注ぐごとに色が変わっていくカクテルに、光一郎は目を見開く。

初めは鮮やかなスカイブルー。そして緑味を帯びてきて黄緑、黄色に。
その後は赤味を帯び、オレンジ、朱色、最後は燃えるような赤。
魔法のような光景に、光一郎のみならず周りにいた客もすっかり見入ってしまっていた。

「…すごいですね、これ。どういう仕掛けなんですか?」
びっくり顔のまま尋ねると。
「一言で言えば『氷』がキーポイントらしいんですけどね。氷がうまくカクテルの区切りを作ってるんでしょう」
ひとつひとつのグラスを見つめ。
「何はともあれ、成功してよかった」
ほっとしたような笑顔で笑う硲だ。
未だ、色鮮やかなカクテルに見入っていると。
「これは『レインボーショット』と言って、カクテルの『レインボー』と同じように幸せのカクテルと言われているんです」
光一郎の様子に少し笑って。
「もっとも、飲むと言うより目で楽しむカクテルですが…。『レインボー』も正直、味はどんなものかと思うんですけど」
今度は苦笑気味に笑う。

「飛鷹さんに飲んで頂きたいのは、こちらです」
そう言って硲が光一郎の前に差し出したのは、クリーミーな茶がかった乳白色のカクテル。



「『クローバー・ナイト』というカクテルです。飛鷹さんには少々甘く感じられるかもしれませんが…」
優しい微笑みをたたえて。
「私からのメッセージだと思って下さい」
「メッセージ…?」
どういうことかという風に目を瞬かせると。
「カクテルにも、花言葉のように言葉がありましてね。このカクテルには『幸福』という言葉があるんです」
「え…」
目を僅かに見開く光一郎。
「…飛鷹さんには、本当に幸せになって欲しいですから」
硲は更にその温和な顔を綻ばせる。

知り合って数年しかたっていないが、バーテンダーとして様々な人間と接してきた硲には光一郎がどういった人間で、今までどう過ごしてきたのかが察せられた。
光一郎がぼつぼつと話したことで彼が両親も兄弟も亡くしていることや、その後は荒れていたのではないかということも想像に難くなかった。
そんな光一郎だからこそ、幸せになって欲しいと心から思うのだ。

「硲さん…」
言われた光一郎はというと、何とも言えない表情で微笑っていた。
「ありがとうございます。…頂きます」
そっとカクテルグラスを持ち、口元に近づける。
「…ピーチの香りがほんのりしますね」
「ええ。アイリッシュウイスキーとベイリーズアイリッシュクリーム、それとピーチ・リキュールをシェイクして作りますから」

一口、飲んでみれば。
「…確かに少し甘いですけど、飲みやすいですね。口当たりもいいし」
「そう見えてアルコール度数は高いから、女性は気をつけないと」
「…ですね。スクリュードライバーと同じだ」
そう言ってくすくす笑い合う。

「ともあれ、本当におめでとうございます。…お幸せに」
「ありがとうございます」
にっこりと笑いかける硲に、光一郎も微笑みを返した。

――クローバー・ナイトは、幸せの味がした。

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