コルトバードの国へ

それは、いつもの土曜日の警視庁。
剣道の出稽古を済ませた土御門佑介は、ロビーである人物を見かける。
「飛鷹さん!」
「え、佑? …あ、そっか。今日は土曜日か」
佑介に「飛鷹さん」と呼びかけられた、180センチは超えるだろう長身の男――飛鷹光一郎は、その鋭くも女性も同性も見惚れそうな整った顔を綻ばせる。
「うん、今稽古が終わったとこ。…飛鷹さんは調査の報告?」
そう尋ねた後に、光一郎の服装に「あれ」という表情になる。
いつものスーツではなく、少し首元をはだけさせたネイビーのボタンダウンシャツと薄いカーキ色のチノパンだ。
光一郎のラフなスタイルは見たことがない佑介は、思わず見入ってしまった。
「あ、ちょっと江東区に行くんだ」
佑介の様子に少し笑って答えていると。
「…お待たせ致しました、飛鷹様。これを見せればセンターに入れますので」
受付嬢がカードのようなものを渡す。
「ありがとう」
「いえ。練習頑張って下さいね」
にこりと微笑んでお礼を返す光一郎に、ふたりの受付嬢はほんのりと頬を赤らめた。

「…相変わらずモテモテだよね~♪ 受付の人、目がハートになってたし」
「なにばか言ってんだよ」
悪戯な笑みで言う佑介の頭を、こつんと軽く小突く。
「そういえば、練習…って言われてたけど。何の練習?」
首を傾げて佑介が問えば。
「あ~…。実は、な」
少し逡巡しながらも光一郎は親指と人差し指を伸ばし、軽く構えるポーズで答えた。
「それって…、射撃!?」
目を見開く佑介は興味深げで。
「…ね、飛鷹さん」
「ん?」
どこかわくわくとした表情で呼ばれ、光一郎は目を瞬かせる。
「見るだけだからさ。…俺も一緒に行ってもいい?」
「え!?」
その台詞に、面食らってしまう光一郎であった。


光一郎と佑介が向かったのは、江東区・新木場にある「警視庁術科センター」。
主に警視庁に勤める警察官が練習場として利用する射撃場がある。他に、柔道や剣道を行える道場も。
警視庁にも道場はあるが、射撃場はないのだ。
そして、元は警視庁の刑事だったとは言え、今は民間人の光一郎がなぜ射撃場を使えるのか。

実は、光一郎はオリンピック・エアピストル射撃の日本代表選手でもある。
26歳の時に麻薬密輸シンジケート「サソリ」の件を収拾してアメリカから帰国した際、その射撃の腕前を買われ、まずは国体への参加を上司であった真先敬三警部から勧められた。
銃所持のライセンスはロス市警からもらっていたが、そのこともあって帰国後に改めて申請している。
国体では初出場ながらも、センター・ファイア・ピストル競技でなかなかの好成績をおさめ、全日本、世界予選にも参加し、ロンドンオリンピック出場権を獲得した。
そしてロンドンでは4位と、あわやメダルかというところまでいったのだ。
今回のリオでも10mエアピストルで出場することになっている。

術科センターに向かう前に、佑介は連絡すべき相手に電話をかけた。
道場の師匠である草壁真穂だ。
「夕方にでも稽古の報告はしますから」と光一郎の射撃を見に行くことを伝えると。
しょうがないわね…という雰囲気の笑い声が聞こえ。
「いいわ。…ただし、ちゃんと危なくない場所で見るのよ、わかった?」
と釘を刺されてしまった。光一郎もくすくす笑いつつ。
「私がしっかり、周りの者に言いつけておきますのでご心配なく」
どこか楽しげな口調で伝えたのだった。

術科センターに入る光一郎のあとを、きょときょととしながら追いかける佑介。
どうやら真穂が前もって連絡していたようで、本来なら入れないはずの高校生の佑介を見て、
「あ、お話は聞いてます。それに飛鷹さんのお知り合いでしたら」
と、射撃場に入るのを許可してくれた。
早速ゴーグルとイヤーマフをつけ、拳銃に弾を詰め始める横で、
「佑、あんまりうろちょろするなよ。本当に危ないんだからな」
初めての場所で興味津々という雰囲気でいる佑介に、光一郎は苦笑気味に笑って言う。
見れば、射撃射程とは全然違う方角に弾痕のような穴が空いてたりする。
「わ、わかった…」
それに不安を感じて、引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
すると…。

バンッ、バンッ!

「うわっ!」
突然聞こえた音の大きさに、佑介は思わず耳をふさぐ。
見ると、すぐ前にいる光一郎が競技と同じ片手持ちで、拳銃を放っていた。
その横顔に、佑介は息を呑んだ。

ほぼ無表情。
だが、その眼はとてつもなく鋭くて。
まさに「鷹」を思わせる眼の光。
視線だけでも、誰かを射殺せるんじゃないかと思うほどに。

これが、刑事だった頃の光一郎の姿なのか――
ふと、そう思ってしまう佑介だった。

「…すごいな、あんな表情の飛鷹さんは初めて見た。本当に“黒い鷹(ブラック・ホーク)”だな」
「!」
声に佑介が振り返ると。
「東山さん!」
佑介にとっては警視庁での師匠である、東山昇(とうやま・のぼる)が立っていた。

シリンダーに入っていた5発を撃ち終えた光一郎も、東山の存在に気づいた。
警察官は基本、全部で6発入るシリンダーの1発分を空けて5発弾を詰める。
探偵になった今でも、その慣習は抜けないものだ。
「こんにちは。…東山さんも射撃の練習に?」
先ほどの表情が嘘のように、イヤーマフを外しながらにこやかに歩み寄る。
「お久しぶりです。…いえ、今回は練習じゃなくて」
ぽりぽりと頬を掻きながら。
「オリンピックのラビットファイアピストルに出場することになった、同期の激励で」
「ええ? すごい」
佑介が感嘆の声を上げる。
「向こうで撃ってるけどね。もうそろそろ終わるかな」
東山が指差す先には、イヤーマフをつけてやはり片手で拳銃を撃っている私服の警官の姿が。
練習ではおおむね、一人40~50発程度を目安にして撃つことになっている。
「それにしても、飛鷹さんも選手だとは知らなかったですよ。名簿を見たときは驚きました」
「以前の上司から、強く勧められてしまいましてね。ロンドンが初めてでしたが」
ばつの悪い笑みを浮かべる。

そうしているうちに、東山の同期という警察官がこちらに歩み寄ってきた。
「紹介します。ラビットファイアピストルに出場する、岡埜敦史選手です」
「初めまして」
東山が手で示すと、岡埜と呼ばれた警察官も会釈する。
「こちらこそ、飛鷹光一郎といいます」
光一郎も同じように返す。

「…さてと、続きをやるとしますか」
再びゴーグルとイヤーマフをつける光一郎。
「ご迷惑でなければ、私たちも見てていいですか?」
東山がそう言うと。
「ええ、構いませんよ。むしろ…」
佑介を一瞥して。
「こいつを見張ってくれると助かります。さっきもうろちょろとしてたもんだから」
「飛鷹さ~ん…」
おどけた口調の光一郎に、じと目になる佑介だ。
その様子に岡埜もぷっと吹き出してしまう。
「了解しました、ちゃんと見張ってますからご安心を」
東山も同じ調子で片目をつぶり、敬礼のポーズで返す。
「東山さんまで…」

先ほどの光一郎の姿を見ると、反対に魅入られたように動けなくなるのに。

シリンダーに弾を詰め、的に向けて腕を伸ばす。

バンッ、バンッ、バンッ、

的が規則的に動き、立て続けに3発撃ち込む。
「すごい…。ロンドンオリンピック4位も伊達じゃないな」
岡埜が食い入るように見ている。弾はほぼ真ん中に命中していた。
「ああ。彼の雰囲気もさっきとは全然違う」
東山も身動きせず。
(警視庁の刑事だったと聞いたが…。ああしているとそのものだよな)
光一郎の佇まいに、東山はそんなことを思っていた。

5発終わって的が引っ込んだと思うと、また出てきて先ほどとは違う動きをする。
それも躊躇なく撃ち込んでいく。

誰も近寄れないほどの集中力。
3人はただ、言葉もなく見入るだけだった。


50発ほど撃った後、ふうっと一息ついてゴーグルとイヤーマフを外す。
操作して的を引き寄せると、ほとんどが心臓にあたる箇所の周りに集中していた。
「お疲れ様です、飛鷹さん」
東山と岡埜、そして佑介が近づいてきた。
「…さすがですね。ついつい見入ってしまいました」
岡埜が感嘆した風に声をかける。
「いえ、そんな。まだまだですよ」
少し気恥ずかしそうに答える。
「こんな感じなら、ロンドンと同じようにメダルに近いところまでいくと思いますよ」
「うん、俺もそう思う」
東山の言葉に同感という風に、佑介も頷くが。
「岡埜さんはもちろん、飛鷹さんにもメダルを穫ってきてほしいのが本音だし。でも…」
「でも?」
東山と岡埜が佑介を見る。
「飛鷹さんがメダル穫ったら穫ったで、それこそ周りが大変なことになっちゃうかも」
苦笑気味に笑いつつ言う佑介に。
「…あ~!」
思い当たったのか、笑い出す東山と岡埜。対する光一郎はというと。
「どういうことだよ、佑」
じと目で佑介を見る。
「飛鷹さんのような超イケメンがメダル穫ったら、マスコミがほっとかないじゃないですか」
未だ笑いながら東山が言う。
「そうそう。探偵のお仕事もできなくなっちゃいますよ」
岡埜も楽しげに笑っている。
光一郎が私立探偵だということは、プロフィールを見て知っているようだ。
「………」
光一郎も思い出したことがあるのか、諦めたような表情ではあっと息をつく。

実際、前のロンドンのときも注目のイケメン選手ということで取材の申し込みが殺到した。
だが仕事に支障がでるからと、最低限で公共放送の取材だけは受けていたのだ。

光一郎の様子に、岡埜はまだくすくす笑っていたが。
「まあともかく。…リオではお互い、いい結果を出せるよう頑張りましょう」
言いながら、手を差し出した。
「ええ。岡埜さんのご健勝、祈っております」
「ありがとうございます。飛鷹さんも」
「はい、ありがとうございます」
そう言い、笑顔で握手を交わす日本代表ふたり。
その姿を、東山と佑介は微笑ましげに見ていた。

すべては、コルトバードのもとで。
リオの熱い夏が、始まる。

「PRIVATE EYE」物語に戻る