今は、その羽を休めて

東京駅のステーションホテルの2階にあるバー「オーク」。
この日も私立探偵の飛鷹光一郎はここに来ていた。

時々、理由もなくふとカクテルが飲みたくなるときがある。
酒はたしなむ方だが、飲み出すとかなり強い。普段はバーボン系が多いようだ。
もっとも、お酒はどの系統でもいける口である。

カクテルを飲み出したのは、実はここ数年前からである。
とある殺人事件を担当したときに、ダイイングメッセージにカクテルの名前をつかったというケースがあった。
一般には洋名で知られているそのカクテルには、実は和名で別の名前があった…ということがヒントになり犯人を捕まえることができた。
その際光一郎はカクテルのことを調べて、自分でも飲んでみた。
様々な味わいを彩るカクテルの奥深さに興味をひかれ、気がつけば詳しくなっていたのだ。

「今日は、この間一緒だった方は来ないんですか?」
「ああ、彼はどっちかというと焼酎が好きだから…。それになかなか会えないし」
バーテンダーの言葉に少し苦笑して、つまみのチップスを口に入れる。

先日は、最近友人となった星野紘次とここに来ていた。
あの件のお礼に食事かお酒を…という紘次の誘いを受けて。

「…で、今夜はお勧めのカクテルとかあります? 硲(はざま)さん」
光一郎に「硲さん」と呼ばれた50代前半のバーテンダーは、待ってましたと言わんばかりににんまりと笑う。
「実は、飛鷹さんに是非飲んで頂きたいカクテルがあるんですよ。私も調べていて知ったんですけど」
言いながら硲はカクテルグラス、バーボンウイスキー、スロー・ジンをカウンターに置いていく。
「…スロー・ジンを使うということは、甘口ですか?」
目を瞬かせて光一郎が問えば。
「まあ、楽しみにしてて下さい」
悪戯な笑みを浮かべて、硲はバーボンとスロー・ジンをミキシング・グラスにいれ、ステアし始めた。

そして、ステアしたそれをカクテルグラスに注ぎ、できあがったのは…
澄み切った綺麗なスロー・ジンの赤が鮮やかなカクテル。



「…どうぞ。『ブラック・ホーク』です」
「!」
硲が発したカクテルの名前に、光一郎は目を見開いた。
「私も驚きましたよ。ネットでカクテルのレシピを調べていたら…」
何とも言えない表情で目を細め。
「飛鷹さんの通り名と同じ名前のカクテルがあるとは思いませんでしたから」

『ブラック・ホーク』。
アメリカ先住民族の人物の名であり、1832年にインディアンとアメリカ軍との間で起こった戦争の名から名付けられた、アメリカで誕生したカクテルといわれている。シェイクでつくることもある。

「そんな名前のカクテルがあるんですね」
興味深げにグラスを掲げ、一口飲むと。
「…意外に辛口ですね、スロー・ジンが入ってるのに」
ちょっと驚いたような表情になる。
「度数も強いですからね、だいたい25~30くらいですし」
「そんなに…」
辛口ではあるが、スロー・ジン独特のほのかな甘みが作り出しているだろうまろやかな風味をも感じさせる味には、それほどの度数があるとは思えない。
そういうところが、カクテルの小悪魔的な部分ではあるのだが。

「そういえば、飛鷹さんが“黒い鷹(ブラック・ホーク)”と呼ばれるようになったのも、アメリカでの事件がきっかけとか…」
「もう7年も前ですよ。それ」
少し躊躇いつつ切り出した硲に、苦笑気味に笑う光一郎。

7年前…光一郎がまだ警視庁の捜査一課の刑事だった頃。当時は若干23歳だった。
ある殺人事件を通してその犯人が覚醒剤常習者だったこと。
そして更に覚醒剤を密売していた組織の中に、アメリカの麻薬密輸シンジケートと繋がりがある人物を割り出した。
そういうことがあり、警視総監がその管轄だったアメリカのロス市警と連絡を取り、数名の英語が堪能な刑事を派遣した。その中に光一郎もいたのだ。
かくて麻薬密輸シンジケートはボスの射殺という形で壊滅した。
その際に「タイムズ」で光一郎のことが取り上げられ、記事を書いた記者が彼のことを『ブラック・ホーク』と呼んだのが始まりだったのである。
それから3年後に、ボスの息子がシンジケートを復興させたという情報が入り光一郎が単身アメリカに赴き、完全に壊滅させたのだ。
その時に光一郎も知ったのだが、刑事を辞めて私立探偵になっても、アメリカではその“黒い鷹(ブラック・ホーク)”の通り名はそのまま引き継がれていた。もちろん日本でも。

「…飛鷹さん?」
ふと黙り込んでしまった光一郎に、心配そうに声を掛ける。
「あ、すみません。昔のことを思い出してました」
ふっと、何とも言えない笑みを浮かべる。
「…「今」だから、こんなに穏やかに思い出せるのかな」

様々なことがあった。
弟を失い、荒れに荒れまくった時期もあった。
そんな時に、今は助手の霧島陽司や秘書で恋人でもある三杉瑠衣と出会って。
本当の意味で、再び人を信じることができるようになるまで相当の年月を要した。

そんな光一郎を優しい視線で見ていた硲は。
「たまにはこうやって歩き止まって、休むことも大事ですよ」
「え?」
目をぱちくりとさせて自分を見る光一郎に少し笑って。
「ただでさえ、探偵さんって年中無休なんだし。…鷹だって木の上で羽を休めるものですよ」
「そう…ですね」
光一郎も穏やかな表情で笑う。


「ブラック・ホーク、もう一杯飲みますか?」
空になったグラスを下げつつ、声を掛ければ。
「…ええ、お願いします」
そう言って微笑む光一郎の顔は、探偵のそれではない。
ただ静かに飲んでいる、ひとりの男の顔であった。

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