第1話 豪華客船『飛翔Ⅱ』

 夏の海に浮かぶ、白い豪華客船。
総トン数50,142トン 、全長240.96mの『飛翔Ⅱ』 である。
2006年に日本のクルーズ会社が所有していた『飛翔』がドイツの船会社に売却され、その後継船として造られた。
『飛翔』は現在は名前を変え、バハマ籍の旅客船としてバルト海を中心に就航している。
今回の『飛翔Ⅱ』は、横浜港から神戸港までのそれぞれ1泊2日の往復コースとなっていた。

そんな豪華客船のパーティー会場で、所在なく立っている青年…いや、大人びているが少年がいた。
パーティーらしくタキシード風のスーツに身を包み、ソフトドリンクを持っていることで未成年だということがわかる。
だがその顔立ちは精悍でかなり整っており、遠目から彼を見つめている者も多い。

「…来てみたのはいいけど、やっぱり俺、こういうのは場違いだよなあ」

はあっと溜め息をつきつつぼやく少年――土御門佑介は、都立朱雀高等学校に通う高校2年生だ。
この会場では、耳の聞こえない少女と彼女を支える青年のラブストーリーをメインとした映画の制作発表パーティーが行われている。そんなパーティーに、なぜ一介の高校生の佑介がいるのか。

「佑介くーん!」

佑介の許に、満面の笑みで駆け寄ってくるジ○ニーズ系の美少年。俳優・タレントとして修行中の不破爽也だ。
佑介とは某超有名美少年コンテストで知り合い「友人」となった仲である。
その爽也が今回、主役系の青年を慕っている耳の聞こえない少年のひとりとして出演することになった。
それで爽也のプロダクションから、佑介に制作パーティーの招待状が届いたのだ。
当初は少々躊躇した佑介だが、普段滅多に会えない爽也に会えるなら…と、休みを利用して『飛翔Ⅱ』に乗り込んだわけである。
客船とは思えないつくりに、目を白黒させていたのは言うまでもない。

「お。爽也、お疲れ」
にこやかに答えて、通りかかったボーイに手をあげて受け取ったソフトドリンクを爽也に渡す。
「ありがと。…ごめんね、佑介くん。退屈でしょ」
申し訳なさそうな表情で佑介を見る爽也の頭を、佑介は苦笑交じりにくしゃっと撫でた。
「そんなことないよ、滅多にない機会だし。普段見られない光景で面白いよ」
にこっと笑みを深くして。
「それに、爽也に会えたのは嬉しいしな」
「!」
佑介の言葉に爽也は目を見開いたが、すぐにこぼれんばかりの笑顔になり、
「僕も嬉しいよ~!」
と、がばっと佑介の腕に抱きついてしまった。
「こ、こら爽也。こぼすだろ」
中味がこぼれないように、なんとかグラスを上にあげたが。

「うわっ」

バランスを崩して、隣にいた人物にかかってしまったらしい。
「うわ、すみませんっ! 大丈夫ですか…」
慌ててその人物を見た佑介は、大きく目を見開いた。
「…飛鷹さん!?」
「え? …佑か!?」
「飛鷹さん」と呼ばれた長身の男。
東京・新宿で私立探偵を営む飛鷹光一郎だ。佑介とは知り合いのようだが…。
彼も驚いたように佑介を見る。
「なんでここに…って、それより服!」
佑介が外に連れ出そうと、光一郎の腕をつかむが。
「いいって、いいって。替えもあるし」
「よくないよ! シミになっちゃうじゃないか」
苦笑交じりに言う光一郎だが、佑介はそれも聞かずに半ば強引に引っ張って会場を出た。
そして急いでハンカチを濡らしてきて、会場前の椅子に座っている光一郎の上着をぽんぽんと叩くように拭く。横には爽也もいた。
「すみません、僕がふざけてたから…」
しゅん、として光一郎に謝る爽也。
「気にしなくてもいいよ」
ぱっと見は鋭さを漂わせた端正な顔立ちなのに、笑うと信じられないくらいに優しくて柔らかい表情になる光一郎に、爽也はわずかに顔を赤らめた。

なんとか、上着の汚れは無事にとれて…。
「それにしても、なんでここにいるの? 飛鷹さん」
首を傾げつつ、佑介は尋ねるが。
「…もしかして、瑠衣さんと婚前旅行?」
にっと悪戯っ子の笑顔になる。
瑠衣…三杉瑠衣は光一郎の秘書であり、またかけがえのない恋人でもある。
「ばか、そんなんじゃない。…ちょっとな」
こつんと佑介の頭を小突いて、再び会場の方角を見る。
「……?」
小突かれた頭をさすりながら、佑介も怪訝な表情で見ていると。
「佑介くん、この人知り合い?」
遠慮がちに爽也が口を開いた。
「あ、ごめん。まだ紹介してなかったな。飛鷹光一郎さん。私立探偵を…」
佑介がそこまで言いかけた時に、光一郎が口元に指を添えているのが見えた。
「え、探偵さん!?」
しかし爽也にはしっかり聞こえたようだ。
「…飛鷹さん…。もしかして、なにか調べてるの?」
知らずに小声になる。
「佑は気にしなくてもいい。…だがおまえこそ、なんであのパーティーに?」
今度は光一郎が尋ねる。
「えっと…。彼、俳優をやってる不破爽也くんなんだけど」
爽也を見ながら続ける。
「今度彼が出る映画の制作発表パーティーに招待されたんだよ」
「…ああ、君があのコンテストで佑と仲良くなったという不破爽也くんか」
光一郎は合点がいったのか、表情を綻ばせる。
「はい。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる爽也。

佑介と光一郎は1年前、佑介が高校1年生の時にある殺人事件を通して出会っている。
実は佑介は幼少の頃から強い霊能力を持っており、たまたま殺人現場近くにいた時に被害者の霊が乗り移り、異例の速さで犯人が逮捕されたのだ。
そういうこともあり、光一郎は佑介の特殊な能力のことを知っている。

そして、またパーティー会場に戻った3人。
「探偵さんというと普通十人並みのイメージだけど、飛鷹さんってすっごいイケメンでかっこいいから目立つんじゃ…」
爽也がまじまじと光一郎を見ながら言うのに、佑介と光一郎は顔を見合わせて苦笑いだ。
「…でも、こういうパーティーなら他にもイケメンがいるから、そうでもないでしょ?」
「…あずささん!」
女性の声に振り返れば、爽也のマネージャー・瀬名あずさが立っていた。
あずさは光一郎に、軽く会釈する。彼も返す。
「…瀬名さん。飛鷹さんになにか…」
ふたりが顔見知りらしいと察した佑介がやんわりと、それでいて有無を言わせぬ雰囲気で尋ねる。
「…爽也くんと佑介くんには黙っているつもりだったけど、佑介くんが飛鷹さんと知り合いなんてね」
あずさはふっと諦めたように続ける。
「あくまで噂よ。この映画の出演者かスタッフの中に、覚醒剤の取引をしている者がいるという密告があったの」
「ええ!?」
佑介と爽也は目を見張る。
「しかも、このクルーズで取引があるかもしれないって…。警察に頼めば表沙汰になるからと、数々の事件を解決した飛鷹さんに調査を頼んだのよ」
「そうだったんですか…」
なんとも言えない表情になる佑介の肩をぽんと叩いて、
「ま、佑たちは何も心配しなくてもいいからな。これは俺の仕事だから」
安心させるような笑顔で光一郎は言うが。
「…うん…。でも飛鷹さん」
「ん?」
「…無茶…しないでね?」
心配そうに光一郎を見る佑介。
光一郎はふっと目を細めて。
「大丈夫だよ。…じゃ俺はちょっとそこらへんを見てくるな」
ぽんぽんと佑介の頭を軽く叩いて、パーティー会場を出て行った。

その、一方―――

「…ったく、なんで兄貴なんかとクルーズって…」
「そんなことを言うなら拓、美也ちゃんと行きゃよかったろーが」
ぶつぶつとぼやく少年と、じと目で彼を見ている20代後半の男性。どうやら兄弟のようだ。
「美也子のヤツ、ドジって足を捻挫したんだよ。しゃーないじゃんか」
兄弟の名は、「兄貴」と呼ばれたほうは北詰仁。28歳。
そして彼が「拓」と呼んだ少年は北詰拓。17歳で公立の鈴屋東高等学校2年生ある。
仁は鈴屋東警察署に勤める警部補だ。
警察官の給料は意外に「薄給」と言われるが、にも関わらずなぜ豪華客船『飛翔Ⅱ』に乗ることができたのか。

―――早い話が、スーパーの福引で『飛翔Ⅱ』のペアチケットが当たったのである。

初めは拓が幼馴染の吉村美也子と行く予定だったが(このふたりはスキーにも行っている)、その美也子が直前に足を捻挫してしまい、結局仁が急遽休暇を取り拓の夏休みに合わせたのだ。

「…そーいや兄貴、なんかミョ~に嬉しそうだよね」
拓が怪訝そうに仁を見ると。
「ふっふっふ…。よーく聞いてくれた」
「う゛」
仁が浮かべた笑みに、後退りしてしまう拓。
(こ、これって…。聞かなきゃよかったかも)
「ちょっと小耳にはさんだがな、この船に莉那ちゃんが乗ってるらしいんだぜ」
「莉那ちゃんって、確かアイドルの…」
「そうっ、大島莉那ちゃんだ!」
ぐっとファイティンポーズになっている兄の姿に。
(はあ~…。また出ちゃったよ、兄貴の『アイドル好き』が)
思わずこめかみに手を当ててしまう拓である。

仁は警部補としてはかなり優秀な実績を持っているが、実は「アイドル好き」という面も持っている。
年甲斐もなく…と、拓は毎回呆れてしまうのだが、今ではもう放っておいている。

「で? その大島莉那さんが、なんでこの船に?」
呆れつつ尋ねると。
「なんでも、新作の映画の主役になって、その制作発表パーティーをここでやってるそうなんだ」
「へえ…」
「…ということで、警察の特権を利用してパーティー会場に行くぞ♪」

がくっ。

兄のトンデモな台詞にコケる。
「ちょ…っ、兄貴ってば!」
引き留める暇もなく、仁の姿は見えなくなってしまった。


(…ったくも~、兄貴のヤツ。いー加減にしろよなっ)
兄の言動にムカついて、ずんずんと歩いて部屋に戻る途中の拓。
その前にある、人影にも気づかず…。

どんっ、

「うわっ!」
「おっと…」

転ぶかと思ったが、ぶつかった相手が腕をつかみ、支えてくれた。
「す、すみません。前を見てなくて…」
相手を見上げるようにして謝る。
「いや、怪我させなくてよかった。気をつけろよ?」
相手の男はその整った顔を綻ばせて言った。
(うわ、すごいかっこいい人だな…)
拓が思わず見惚れている間に、男は「じゃ…」と言い置いて去って行った。

やがて拓がふと下を見ると、革製のカバーの手帳が落ちていた。
(あ。これってさっきの人のものじゃ…)
後で届けなきゃと、名前がわかるものがないかと手帳を開くと、カバーの隅に名前がローマ字で刻印されていた。
「え…と。Koi…chiro…Hida…ka…え!?」
読み上げた拓の目が、大きく見開いた。

コウイチロウ・ヒダカ。

「う、うそ…」

実はこの拓、殺人事件などの犯人当てが得意という「特技」を持っている。
その点では刑事である兄の仁には苦い顔をされているが、そういうこともあってかとある「名探偵」の名前は知っていた。
セキュリティ上で顔写真は載っていなかったが、新聞で彼の活躍が取り上げられる度、拓は尊敬と憧憬が入り交じった思いを抱いていたものだ。
ずっと憧れて、会いたいと思っていた人物でもある。

ローマ字だけでは、単なる同姓同名かもしれない。
でも、本当に本人だったら…?

呆然とした表情で、「コウイチロウ・ヒダカ」であるだろう男が去った方角を見つめる拓であった。
「D.D」トップへ   次ページへ