第2話 動き出した物語 |
『飛翔Ⅱ』の通路を歩いていた私立探偵の飛鷹光一郎は、ある方角からの会話に気づく。 「…そんなこと言っていいのかよ。バレたらあんたも俺も終わりだぜ」 「うっさいわね。誰のおかげで、この映画に抜擢されたと思ってるのよ」 声がするほうを見れば、そこには揉めているらしい男女の姿。 その姿に、光一郎は見覚えがあった。 先ほどのパーティーでも見かけた、女優の小木谷歩(おぎや・あゆみ)と俳優の馬場智史(ばば・さとし)である。 歩は髪が長く少々派手な印象で、好き嫌いのはっきりした性格である。 一方の馬場は、若手では実力者と言われているが、性格に少々問題があるらしい。 これらは光一郎自身が調べたこと。 そして彼には、一度見た相手の顔を忘れないという性質があった。 「いずれにしても、あの3年前の件のことは口外無用で…」 (…3年前…?) 馬場の言葉に訝しんでると、ふたりは光一郎の存在に気づき、そそくさと別々の方角へと立ち去って行った。 いささか、鋭い視線でふたりを見ていると。 「あっ、いた! すみませーん!」 聞こえてきた声に振り向けば、ふわふわとした髪型の少年が自分に向かって駆けてくる。 「…あれ? 君はさっきの…」 そう、駆け寄ってきたのは先ほど通路でぶつかった少年――北詰拓だった。 「よかった~。…あのこれ、さっき俺がぶつかったせいで落とされたでしょう?」 拓は黒革の手帳を差し出した。 それに僅かに目を見開いて、光一郎も上着の内ポケットを探って。 「…ほんとだ。ありがとう、助かったよ」 ちょっとばつの悪そうな笑みを浮かべて、それを受け取る。 「本当に、すみませんでした」 ぱらぱらと中身を確認して手帳をしまう光一郎に、ぺこっと頭を下げる拓。 「もう気にしなくてもいいよ」 光一郎はにこっと微笑んで言う。 「あの…」 意を決して。 「失礼ですけど…。私立探偵の飛鷹光一郎さん、ですよね?」 「…そうだが?」 訝しむような光一郎とは対照的に、ぱあっと明るい表情になる拓。 「俺、北詰拓といいます! 飛鷹さんのことはいつも新聞で見てて、いつかお会いしたいと思って…」 「…北詰拓…?」 小さく呟いた光一郎も、はっとした表情になり。 「…もしかして君、高校生探偵の北詰拓くんかい?」 「は…」 「こらあ拓! そんなとこでなにやってんだ」 「はい」と答えようとした拓の耳に、兄の仁の声が入った。 「兄貴」 足早に歩み寄ってくる長身の姿に目をぱちくりとさせる。 「探したぞ、あんまりうろちょろすんな…って」 言いながら、拓の隣にいる光一郎に気づき。 「あ、すみません。うちの弟が失礼なことをしましたか?」 少々焦った口調になる。 「いえ」 光一郎はふっと微笑んで、 「弟さんですか。彼が私の落とした手帳を拾ってくれていたんですよ」 安心させるように更に目を細める。 「あ、そうでしたか」 あからさまにほっとした表情で、手を頭にやり笑っている仁を、拓はじと目で見ている。 そんなふたりを微笑ましげに見ていた光一郎は。 「こんなところでなんですから、どこかに入りませんか?」 そう言って、船内にあるカフェ「ザ・ビストロ」に促した。 それぞれ注文し、3人は向き合い。 「弟さんとは自己紹介済みですが…、飛鷹光一郎といいます」 仁に会釈する。 「北詰仁です。…あの、飛鷹さんってもしかして…」 「そうだよ兄貴。あの名探偵の飛鷹光一郎さんだよ!」 嬉々とした声の拓に。 「そんなことないよ」 光一郎は照れくさそうに笑う。 「そうでしたか。…でも、拓からいつも話を聞いていましたが」 「俺も会いたいと思ってはいたけど…」 「……?」 まじまじと自分を見る北詰兄弟に、光一郎は目を瞬かせる。 「こんなに若くて、すごい男前とは思ってませんでした…」 拓が少し顔を赤らめて俯いて言う。 光一郎は一瞬、きょとんとした表情になるが。 「…ぷっ」 思わず吹き出してしまった。 「…あ、あはは…。す、すみません」 今度は北詰兄弟が目をぱちくりさせていると、まだ笑いが残る表情で、 「そうですよね。普通探偵と聞くと、いい年のおじさんのイメージですし」 笑いを収めるかのようにコーヒーを一口飲み、 「私はまだまだ、未熟な探偵ですよ」 ふっと目を細めて微笑む。 「でも! 俺は飛鷹さんは本当にすごいと思う!」 握り拳を作り、ファイティングポーズになる弟を仁は半ば呆れ顔で見ていた。 実際、拓からは耳にタコができるほど光一郎の話は聞かされていた。 「憧れだ」だの「理想の探偵だ」だの、言い出したらきりがない。 仁が拓の「犯人当て」に対していい顔をしないのは、子供だからとか危険だからという理由もある。 だが、本当の理由は―― そのことを考えていたのもあってか。 「…あの、飛鷹さん。ここにいらっしゃるということは、何かあった、とか…」 慎重な口ぶりで尋ねる仁だ。 「…いえ、たいしたことではないですよ」 仁が刑事だということは光一郎も知っている。 おそらく今回は休暇で兄弟でここに来ているのだろう…と察し、余計な気を遣わせたくなかった。 「何かあったら、俺手伝いますからね」 「こら、拓!」 「はは、ありがとう。…でも大丈夫だから」 光一郎は拓の申し出に苦笑気味になる。 「でも本当に、こんなところで事件なんかあったらたまらないですけどね」 ここに、ふたりの「探偵」が出会ったのは偶然か、必然なのか。 ふと呟いた仁の言葉が現実になってしまうのは、もう少し後のこと―― |
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