第3話 そして、起こったもの |
とある一室。狼狽した男の声が聞こえる。 「…ち、違う! それは俺じゃない。あの女が…っ」 男の前に、ナイフを持った手が迫ってくる―― 「おかえり、飛鷹さん」 佑介と爽也が談笑しているところに、光一郎が戻ってきた。 笑顔で迎えられ、返事の代わりにその頭をぽん、と軽く叩く。佑介もふにゃっとした笑みだ。 「…そうしてると、年の離れた兄弟みたいだね、佑介くん」 ふたりの様子を微笑ましく見ていた爽也の言葉に、 「え、そうか?」 光一郎と顔を見合わせる。 「兄弟…というより、おじと甥っ子じゃないか?」 「…かなあ。さすがに父子には見えないと思うけど」 苦笑気味の光一郎に佑介が答えると、思わずぷっと吹き出して。 「そりゃ飛鷹さんにあんまりだよ~」 「俺がいくつの時の子供だよ、それ…」 爽也はくすくす笑い、光一郎は呆れ顔だ。 佑介は17歳。光一郎は30歳なので13歳差になる。 その後も話に花を咲かせていたが。 「…恐れ入ります。こちらにお客様で飛鷹光一郎様はいらっしゃいますか?」 会場のドアが開かれ、飛翔Ⅱのクルーが静かだが切羽詰まった声で問いかける。 「…私ですが、なにか?」 光一郎が手をあげると、傍まで駆けて来た。 「…失礼ですが、お客様は私立探偵の飛鷹様ですね?」 耳元で言われ頷くと。 「実は――」 今度は口に手を添えて何事かを告げる。光一郎の目が大きく見開いた。 「…わかりました。行きましょう」 「お願いします!」 険しい表情になり、クルーと共に駆け出す。 「飛鷹さん!?」 佑介の声も聞こえないのか、光一郎はそのまま会場を出て行ってしまった。 「…何かあったのかな、飛鷹さん」 「………」 心配そうに会場のドア方角を見る爽也。佑介も同じ表情だったが、 「…ちょっと、気になるから行ってくる」 「え、佑介くん!?」 後を追うように出て行った佑介を、爽也は呆然と見送っていた。 クルーとある場所に辿り着いた光一郎は…。 「これは…」 いつも見る光景ながら、思わず顔をしかめてしまう。 男の刺殺死体。 仰向けに倒れており、胸にはナイフが刺さったままで。 どうやらここは彼が泊まっているスイートルームのようだ。 「…すみません。警察を呼んでください」 視線は死体に向けたまま。 「それと、警察がくるまで現場確保のために立ち入り禁止にしますので、警備員を部屋の前に」 「かしこまりました」 光一郎の指示に顔を真っ青にしながらも、クルーは警察への連絡と警備員を呼びに行った。 その時「飛鷹さん!」と呼ぶ声。 「…北詰さん! 拓くんも」 北詰仁・拓の兄弟が、光一郎の許に駆け寄ってくる。 ふたりを区別するのに仁のことは「北詰さん」、拓のことは名前で呼ぶことにした。その時の拓の喜びようったらなかったのだが。 「何か周りが騒がしいと思ったら…どうしたんですか」 「……」 無言でスイートルームをしめす。それに目を見開く仁と拓。 「――北詰さんが仰ったように、まさか本当に事件が起こるとは思いませんでしたけどね」 「ガイ者は…」 「俳優の馬場秀一です。この船で新作映画の制作発表パーティーに出ていました」 光一郎の脳裏に、女優の小木谷弓と話していた馬場の姿が蘇る。 ――いずれにしても、あの3年前の件のことは口外無用で… あれはどういうことなのだろうか。 「…飛鷹さん? どうしました?」 拓が顔を覗き込んでくる。 「いや、なんでもないよ」 ふっと目を細めていると、クルーが戻ってきた。その顔は深刻な表情で。 「…どうされました?」 光一郎が訝しげに問うと。 「警察に連絡したのですが、こちらに来るのにかなりの時間を要するとの返事で」 「え?」 「飛鷹様のことをお伝えしたら、飛鷹様にこの件をお願いしたいと…」 すっかり恐縮した表情のクルー。 「来られないって、どういうことですか?」 横から仁が入って来る。 「昨今の異常気象のせいか、この時期に濃霧が発生しているんです」 「霧が?」 デッキに出てみると…。 「ホントだ。あたり真っ白」 驚愕で目を丸くする拓。 「夏だと北海道から千葉あたりまでの太平洋側に『海霧』というのが発生すると聞いたことはあるが、この場所でも出るとはな…」 光一郎も信じられないという顔だ。 海霧(うみぎり)。 「かいむ」とも呼ばれ、北太平洋高気圧から吹き出す比較的温暖湿潤な空気が、寒冷な親潮の影響を受けて生じる濃霧である。日本付近では夏季に三陸沖から北海道南東部にかけて頻発する。空港の視程障害の原因とも言われている。 だが、この「飛翔Ⅱ」は横浜港から神戸港まで、それぞれに船中で一泊する往復クルーズだ。今は神戸港に向かっている。 そういう場所でも海霧が発生するということは、やはり異常気象の影響もあるのだろう。 「神戸の警察にも連絡を入れているとのことで、到着時間に合わせて神戸港で待機させるそうです」 「…じゃあ、神戸港に着く前に犯人を捕まえないとですね。飛鷹さん」 「ええ。…すみません、巻き込んでしまったみたいで…」 本来は兄弟で旅行中だったであろうに。 「なに言ってるんですか。俺も刑事ですから、こんなの当然のことですよ」 「そうそう。兄貴のこと、こき使ってくれてもいいですからね」 「拓っ!」 悪戯っ子の顔で兄を指差す拓に、じと目の仁。 思わず笑いが漏れる。 「…ありがとう」 ついて出た言葉。 現場には仁と光一郎だけ(拓も?)が出入り可能となり、検証にあたろうとした時。 「…いた、飛鷹さん!」 聞き慣れた声に振り向けば。 「…佑!? ばかっ、来るんじゃない!」 佑介の姿に面食らう。 光一郎の様子に、仁と拓は不思議そうに顔を見合わせる。 「……っ!」 ――ど、くん 何かが、体の中に入り込もうとする感覚。 佑介にしか感じられないもの。 しまった、と思うのと同時に、 「――だから言わんこっちゃない。無事か?」 逞しい腕に支えられていた。 「ごめん、油断しちゃった」 へへ、と決まりの悪い笑みを光一郎に向けて。 「…なにかあったの?」 「ああ。…殺しがな」 光一郎の返答に目を大きく見開く。 「…大丈夫ですか?」 気づくと仁と拓が歩み寄ってきていた。 「ええ。ちょっと貧血を起こしてしまって」 まさか佑介が能力者だとは言えるはずもなく、そう取り繕い。 「別の場所で休むか? 佑」 「大丈夫、それほどじゃないよ」 光一郎に笑いかけ、仁たちの存在に気づく。 「すみません、お見苦しいところ見せちゃって」 顔を上げ、ほろ苦い笑みを浮かべる。 「………」 仁と拓は固まったまま。 「…北詰さん? 拓くんもどうしたんだ」 目を瞬かせる光一郎に。 「あ…いえ」 「飛鷹さんの弟さんも、お兄さんに負けず男前だなって…」 顔をほんのりとさせて、あはは…とばつが悪そうに笑う仁と拓。 「いえ、俺は弟じゃないですよ」 苦笑気味に答える。 「1年前にちょっとしたきっかけで知り合って…。土御門佑介といいます」 にこりと笑いかける佑介に、また見入ってしまった仁たちである。 「佑、こちら北詰仁さんと弟の拓くん。旅行中だったんだが、俺が巻き込んでしまったようなもんでね」 「巻き込んだって…そんなことないですって」 仁が苦笑を浮かべて光一郎に言う。そして佑介に向き直る。 「初めまして。たまたま居合わせたとこに事件が起こったから…。俺、刑事やってるから飛鷹さんと一緒に行動しようと思ってね」 「そうだったんですか…」 仁が刑事だということに少し目を見開きながらも、何ともいえない表情になる。 ふと佑介の頭にぽん、と置かれた大きな手。 「とにかく、おまえは会場に戻ってろ。また影響を受けかねないからな」 「……うん。飛鷹さんも気をつけてね」 優しい口調で言われ、心配そうに目を細めた。 「わかってるよ」 ふっと目で笑う光一郎だ。 そんなふたりの会話を、北詰兄弟は不思議そうに聞いている。 仁と拓に会釈して、佑介は会場へ戻って行った。 「…飛鷹さん、彼って病気か何かですか?」 「え?」 拓の唐突な問いに、僅かに目を見開く。 「さっき『また影響を受けかねない』って言ってたから…」 ああ、と合点がいった風に。 「いや、そうじゃないんだけどね。…ま、ちょっと色々」 苦笑を見せ、曖昧にならざるを得なかった。 「――それよりも、会場に行っ てこのことを知らせないと」 現場を振り返り、眉間にしわを寄せる光一郎であった。 |
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